始頁 > 境内諸社

御器所八幡宮境内

御本殿ごほんでん覆殿おおいでん

御本殿

一間切妻造いちまきりつまづくり。昭和の初めまで当社のご本殿は、江戸期に修造された朱塗りのお社でした。
当時の御造営により白木造りと成りました。また、現在の本殿は、空襲後に再建されたものです。
戦争混乱の中、崇敬の方々の大変な苦労により再建されました。
昭和40年の御造営により、本来の朱塗りのご本殿に再建する計画もありましたが、苦労の中再建した方々の精神を尊び、覆殿を造営し、今日の形となりました。朱色は生命の躍動を現すとともに、古来災厄を防ぐ色として重視されてきました。
それに因み今日では、覆殿が朱塗りになっています。

上へ↑

拝殿はいでん

拝殿

五間切妻造、元来は平入ひらいりでしたが昭和40年の改修により妻側より参入します。同改修により幣殿へいでん(切妻造)と繋げられました。

上へ↑

授与所じゅよしょ

授与所

授与所は朝7時頃より夕刻(おおよそそ午後5時)まで開いています。
また、朝9時よりご祈祷の受付を随時行っております。

上へ↑

総社宮そうしゃぐう

総社宮

御器所地内に古くよりお祀りされているほこらを合祀しています。

上へ↑

白龍社はくりゅうしゃ

白龍社

白竜社は、竜神さんをお祀りしたお社です。水の神様として深く信仰されています。
竜の姿は川になぞらえます。その昔川は、交通の要衝ようしょうであり、山々より多くの恵みを下流域にもたらすものであり、その一度氾濫はんらんがおきれば多くのものが失われます。三社並んでお祀りされているのは、元よりこの地にお祀りされていたお社と名古屋城築城の折、加藤清正公により城の内外にお祀りされていたお社を当社に移転した際に単に合祀するのではなく、併せお祀りしたためです。

上へ↑

重軽石おもかるいし

重軽石

白竜社に重軽石が、いつの頃より置かれるようになったかは不明。
《軽く感じればそれで良し。重く感じたならば努力すべし》と伝えられます。
更には、体の調子が悪ければ先ず石を撫で、その手で悪い箇所を撫でるといやされると信じ、日夜多くの方々が神様のお力お導きを求め参拝されます。

上へ↑

神石かみいし吉幸水きっこうすい

神石 吉幸水

吉幸水と神石です。人は水がなければ生きて行けません。水の恵みに感謝し長寿を祈り、水神さまと共に磐長姫命イワナガヒメノミコトさまを遥拝ようはいします。
4月8日には健康祈願祭を斎行し、皆様の御祈願を受付けております。御祈願料の一部ではありますが、福祉団体に寄託させていただいております。

上へ↑

佐久間社

佐久間社

佐久間社です 佐久間一族は関東よりこの地に移って来た後より当宮を領内鎮護の社として絶大なる崇敬を寄せ厚く守護いたしました。棟札一号より三号まではそれを良く示しています。

上へ↑

必勝鉾鈴ひっしょうほこすず

必勝矛鈴

必勝の鉾鈴です。
御本社の八幡大神は勝利を司る神様です。鈴は魂の形であると伝えられます。振れば音が鳴る鈴と同様に、己の魂も奮い立たせることにより眠っておる力を呼び覚ますといわれます。
毎年、多くの志士が勝利に向かって必勝の鈴を振って御祈願されています。
毎12月の第3週目位の日曜には綱かえの神事が行われます。当日は境内にて餅つき大会が催され、参詣者に餅が振る舞われます。

上へ↑

力石ちからいし

力石

力石です。卵形の不思議な石です。昔はこの石を使い村人が力比べをして楽しみました。現在は、その力を授からんと人々が力石を訪れます。

上へ↑

西参道口

鳥居は、石柱。笠木·島木·貫が、木製です。八幡様式ですが、左右貫先端の欠落しています。
地下鉄鶴舞線荒畑駅4番出口は参道口を出て右(北)へ直線で約500mです。途中突き当りを一本右隣の道を同方向(北)へ向かうと右手に4番出口が見えます。

西参道

上へ↑

稲荷社いなりしゃ

稲荷社

五穀豊穣・商売繁盛の神さま稲荷社です。
社周囲の"のぼり"は、11月23日に斎行される事業隆盛感謝祭のご参列者、新年家内安全ご祈祷を受けられた方に奉納いただいたものです。
狐を神使しんしとするのは、農耕神としての性格に由来するものと考えられます。この信仰は「いなり」の語源を「いねなり」の略とするなど、田の神に対する信仰と深く結びついたものでした。田の神の信仰は当然のことながら、食物神でもある「宇迦之御魂神ウカノミタマノカミ」と繋がり、稲の稔りの季節が近くなると、山から人里近くに現れるようになる狐の姿を、人々が神聖なものとして捉えたことによると考えられます。

上へ↑

英霊社えいれいしゃ

英霊社

御器所地内より出征された方々をしのび、先人の犠牲により現在があることを感謝する為にお祀りされています。

上へ↑

五社宮ごしゃのみや

五社宮

御器所の地に古くからお祀りされてきた当宮摂社五社をお祀りしています。「村上社」旧地村在、「洲原社すはらしゃ」旧山﨑在、「八幡社」旧北屋敷在、「氷上社ひかみしゃ」「春日社かすがしゃ」旧北市場在。

上へ↑

縁結び祈願所

縁結び祈願所

御本社にお祀りされている菊理媛命ククリヒメノミコトさまは、故実に和合の神様としられ、"きくり"ではなく、"くくりひめのみこと"と称されます。良き家庭を築き上げるには、強い"いし"によって将来を見通す事も大切でありましょう。みとおしの石は、お二人の末長い幸福をとりもっていただく石であります。

上へ↑

稚児宮ちごみや

稚児社

子供の守り神 稚児宮です。各氏神様の境内にはよく稚児宮、稚児社、児子社などのお社がお祀りされています。当社の稚児宮さまの御祭神は、八幡大神です。氏子にとって氏神とは、全てのことをお守りいただける存在です。

上へ↑

神楽殿かぐらでん

神楽殿

入母屋いりもや造り。夏祭秋祭にはお囃子はやしを奉納します。
夏祭は、赤丸拝戴所あかまるはいたいじょが設置され赤丸を授与します。秋祭には鈴祓いを行います。

上へ↑

朱塀

朱塀

この地方独特の神社建築様式である蕃塀ばんぺいです。不浄除けや外から直接神様を覗けないように威厳を保つ為の塀といわれます。

上へ↑

社務所しゃむしょ

社務所

昭和の始め頃より、昭和50年代までの間は、結婚式場などなかった為に当地在住の多くの方がこちらで婚礼を行いました。現在では、婚礼だけでなく祭典や御祈祷者の控えの間としてご利用いただいています。ただし、当社祭礼以外の場所貸しは行いません。

上へ↑

御器所天満宮ごきそてんまんぐう

御器所天満宮の頁をご覧下さい

上へ↑

太鼓橋

太鼓橋と手水舎

以前ここに小川が流れており、現在は土中に土管にて埋め立てられたと言われます。水は、特に流水は、洗い流すことから穢れけがれ祓うはらうことにつながります。その為、神様にお参りする際に、川を越えることは穢れを祓うことに通じ、多くの境内に川や池が設けられています。また、橋は、人が通る為というよりも神さまの通り道として設けられ、場合によっては横に人用の橋が別に作られている場合もあります。

上へ↑

手水舎てみずしゃ

手水舎

古くこのあたりは"亀口かめぐち"称し、水の豊富な土地でした。これに因み亀を模してあります。水は、洗い流すことから穢れを祓うと信じられます。お参りの際には、手水をおこない、体と心にもしかしたらいているかも知れない"ケガレ"を洗い流し、清らかな心と体で参拝しましょう。手水の作法は、先ず左手を洗い流し、次に右手、次に左手に汲んだ水で口をすすぎ、又その左手を洗い流します。

上へ↑

車祓所

車祓所 車祓所と太鼓橋

車修祓社です。車の祓い、交通安全祈祷の際は、この場所に車を駐車し、車両番号を控え、授与所にお越し下さい。
車祓社処にてお車の交通安全を御器所八幡宮の神々にお祈りいたしております。
祈祷は随時受け付け。詳しくはお問い合わせください。

上へ↑

正参道口

正面参道

正式な記録は残っておりませんが、正面参道口の前面道路は古くは参道であったといわれます。
昭和の頃までは、当社のご例祭に百数十を越える屋台が立ち並んでいました。
現在、数は減りましたが夏祭および例祭日にその姿が偲ばれます。
正面参道一の鳥居は、石造り明神様式。二の鳥居は、木製朱塗り八幡様式、三の鳥居は、木製朱塗り春日様式。社標には八幡神社とありますが、明治時代に入り国家神道政策により社名を変更されたためです。現在では元の御器所八幡宮に戻しています。

 
QRコード
本日:2  合計:97392